食えよ、うまいぞと差し出された固形食料の味に、思わず涙がこぼれた。
悪い意味だ。
悪夢の拉致から一月ほど、よくわからない謎の組織の中で宇宙人に囲まれながら、私はほそぼそと生きながらえた。そのへんの兵士に雑用の仕事をもらったり寝床を確保したり、ほぼ船内ホームレスである。ストレスで肌も髪も艶がなくなったし白髪も増えた。体重も落ちた。
一応シャワー施設が使えるのだけは救いだった。これで不潔が常習化していたらどこぞで首を吊っていたところだ。欲を言うなら浴槽のお湯に浸かりたかったが、そこは贅沢だろう。
フリーザ軍の下級兵士には地球で言うところのカプセルホテルのような形状の、狭くて寝心地の悪い寝台が割り当てられている。そのひとつを確保してもぐり込み、日記という名称のフリーザへの恨み言を書き付けていたところに、顔馴染みになった一般兵が上等なやつだぞと言ってレーションをくれたのだ。
誇張でなくありがたさに涙が出た。
私は感動した。わけも分からないうちに連れてこられて放り出された、よくわからない宇宙のヤクザ共の中にも人情があったのだ(しかしあらためて日記を読み返せば、人情補正で期待しすぎてしまったのが一番よくなかった)。
しかし厚くお礼を言ってレーションにかぶりついた瞬間、まったく誇張でなくたっぷり二十秒はフリーズして、大袈裟なやつだなそんなにうまいかと笑われた。
上等。
上等でこの味だ。塩辛いペーストをぱさついたスポンジのような生地で挟んで、チョコレート色の油っぽい何かでコーティングしたものがうまい部類。まじめにこの表面はなんなんだ。グレイズでもナパージュでもチョコレートでもない。
まずい。
どう頑張ってもうまくはない。
栄養のことしか考えていない味がする。
それが引き金だった。いままで命惜しさにぎりぎりで保ち続けていた最後の一線を、その味は豪快に踏み越えさせた。
今の今までこの艦では味のない固形食料やらくどくて甘いペーストやら、保存用の固くてまずいパンくらいしか食べずにいたが、いったい調理設備はどうなっているのだ。いちおう食堂はあるといっても、みんな似たようなものしか食べていなかった。まさか。信じたくなかったが。
これが標準、いや、上等!
私は激怒した。
「…ふ、ざ、けるな! クソッタレぇ!」
だいたいなんでこんな目に合わなければいけないのだ。
今までこんなにも理不尽を感じたことはない。思えば職場がつぶれた時だって波風一つ立てず、ケンカすら未経験だった私にとって、これが人生最初の純粋な怒りだった。
おいどうしたとまごつく恩人の腕を強引につかんで、食堂、いや調理設備はどこにあるのかと烈火のようないきおいで問い詰めた。
あとから聞いたら、答えなきゃ殺されると思ったそうである。完全にとばっちりで申し訳ないことをしたがそれどころではなかった。私は案内されるままにずかずかと艦内を進み、強盗のような勢いを寸分も衰えさせず調理場に押し入って、食材と調味料と調理器具をよこせと要求した。ようも何も、強盗だ。
「いやなんなんだよお前は!」
「うるさい! 今まで食べたことないほどうまいもの食わせてやるから早く出せ!」
これもあとから聞いた話、要求に答えなきゃ自爆されると思ったそうである。
彼らは場の勢いに押されて要求を呑んでくれたが、その理由はすぐに知れた。それらしい調理をしている者が誰もいなかったのだ。レトルト状の、もうほぼできているものを温めて出すだけ。
調理ではなく配膳。
目眩がした。
いちおう火は使えても、ほかの設備はほぼ使われていない。焼くか炒めるか煮るか茹でるか。新鮮な食材の備蓄もほぼ見あたらず、冷蔵庫の奥から乾物らしきものを引きずり出す羽目になった。まあ使えるだろう。
香草や調味料はましな方だった。とはいえ正体が分かるのは塩と砂糖くらいで、ローリエに似た風味の黄色い花の瓶詰めや、胡椒のように臭い消しにでも使うと思わしき白い根っこ。あるいは完全に正体不明の、アイシャドウにできそうな見事な真っ青の粉末。
慣れない調理場と食材と調味料、そのうえ宇宙のそれとあって、使いこなすのに時間がかかりそうなものはひとまず放置。だいたいこうだろうとざっくり用途を推測できるものだけ使い、できたものはよくわからないピンクがかった肉と謎の青野菜の、ただの炒め物だ。悲しくなってくる。
あっさり味と言えば言えなくもない。微妙に物足りない味付けに簡素な具材。
まあまあ地球人の味覚にも耐えうるものの、金を取って出したら口コミサイトに悪評が乗りそうな微妙な出来映えだが、食堂の野次馬たちはうまいうまいと沸いた。
あたりまえだ。あんな病人食まがいのレトルトに負けるようなら、料理人などとっくに廃業している…なんて、今だから言えることである。
たまらなくうれしかった。
厨房に立つことも、料理を作ることも。何よりも人に美味を供し、その味覚をこじ開けることが。本当に、楽しくてならない。
店がつぶれてからこちら田舎暮らしでくすぶっていた料理への執念が、再び私の中で目覚めていくのを感じた。
この事実にこそ涙が出そうだ。
「おい、すげえなお前! うまいよ、これ」
「そうでしょ、でもまだこんなもんじゃないよ!」
私の腕はこれが限界ではない。穴だらけの設備を立て直して、もう少しましな食材を調達して、宇宙の調味料を使いこなせるようになって。
もう一度、今度は宇宙の料理人になってやる。
|