「……そ、その呼び名はやめろと「まあまあめずらしい取り合わせねぇ、ブルマはどうしたの? さっきまでクッキーちゃんと一緒にいたと思うんだけど」
いつ見ても明るく機嫌のいい調子で、踊るような軽い足取りでこちらへ歩いてきたのはブルマさんのお母様だ。相変わらずすごい。あのベジータさんが対応に困っている。
クッキーちゃん、とは私がいつも作り置きのクッキーを持っているからと彼女が考案したあだ名だ。むろん本名ではない。
はずかしいからよしてくださいと何度か言ったものの、あまりにも悪意がなかったため強く言うのもなんとなくばかばかしくなって、今は放置している。
「ブルマさんならブリーフ博士とご一緒のはずですよ。なんでしたら携帯に…」
「うーん…わたしじゃよくわからないのよ。これなんだけど」
光ってるでしょ、どうしましょうねぇ…なんてのんびり差し出されたのは、手のひらサイズの通信機。私がいつも使っているもので、今は研究室に置いてあったはずだ。
いつもなら休暇中には動かないはずのそれが、上部の小さなランプを緑色に光らせながら細かな振動を繰り返している。緊急度の低い時の呼び出しサインだ。バイブモードにしてあったから気付かなかったらしい。
なお緊急連絡時は、問答無用ででかいアラーム音が鳴るのでバカでも気付く。
「あっ、これは私のです。職場からの呼び出しで…お休み中なのにどうかしたのかな。ありがとうございます」
「あらぁ、そうだったの。お仕事がんばってるのね」
えらいわねえと、たぶん事のあらましを理解なさってはいないだろうが人当たりはいい彼女らしい言い方と共に、大きめの通信機が手渡された。
ベジータさんは向かいでものすごく文句を言いたそうな顔を見せているが、今うかつなことを言ったらお母様にとてつもない天然発言をぶっ飛ばされそうだから黙っているんだろう。手に取るようにわかる。
突き刺さってくる視線をあえて無視して通信を繋ぐと、聞き覚えのある声が私の名を呼んだ。
「キコノさん、すみませんお待たせしました! どうかしましたか」
「どうかしたかじゃないよ。今見たら君の機体がおかしな方角に向かってるから通信を入れたんだ。どこにいるんだね」
「どこって…ああ、なるほど。私とこの通信機は地球なんですけど、ちょっとお友達に宇宙船を貸していて」
「友達って地球人かね。ああ、飛び方が無軌道なわけだ…これだから田舎者は。君よりはだいぶ操縦がうまいようだが、変なクセをつけられんように注意するんだよ」
「あはは…すみません、ヘタで…」
調理器具なら手の延長のように扱えるのだが、機械になるとどうにも難しい。いや、そんなことはいいのだ。
「えっちょっと待ってください、私の機体今どこにいるんですか」
「今…うん? さっきまで金星のほうにいたはずだが、またずいぶんと辺境のほうへ飛んだものだ。あんなとこ誰も行かんぞ…座標はいるかな」
「自分では行かないからいいです」
「おかしなルートを覚えさせると自動操縦に影響するから、戻ったらまたメンテナンスに出しておきなさい」
「重ね重ねありがとうございます!」
キコノさんは私が今の船を購入する時も見立ててくれたし、ド素人用にあれこれ各種プログラムを組んでくれたし、うっかりスペースデブリにこすった時にも直してくれた、足を向けて眠れないクラスの恩人である。
私が今地球に帰れるようになったのは彼のおかげなのだ。また何か差し入れしておこう。
「お礼はかまわないから、私としてはできるだけ早く戻ってほしいもんだよ。君の食事があるとフリーザ様のご機嫌がよくなるからね」
「ありがとうございます。まあ、明後日には戻りますよ」
それをしおに通信は切れた。
しまっておこうと鞄を開けると、向かいのベジータさんが今度は目を丸くしてこっちを見つめている。
「……おい、今キコノと呼んでいたな、フリーザ軍の古株の科学者のあいつか」
「そうですよ」
「ヤツは臆病であまり前に出ないはずだが、貴様いったいどこからどこまで顔が利くんだ」
「どこまでって…把握できてるところだけでも、立場の高低問わずまんべんなく知人がいますよ。食堂はみなさん使いますからね、戦闘員とはそりゃ違います」
いろいろな立場の人と話す機会があるし、顔を覚えられたらちょくちょくお菓子を差し入れすることにもしている。これは身ひとつでやっていた時からの処世術だ。
現場の人間と仲良くなって損はない。
私が小分けにしたクッキーを持ち歩いているのはこういうわけだ。差し入れにも、いざというときの非常食にもなる。
「それにしても、フリーザの野郎がそこまで入れ込む…いや、地球の食事の質を考えればそうもなるか」
「まずいですからね、フリーザ軍のレーション」
ぽつりとこぼした本音に、しかしベジータさんは少し考え込んでからかぶりを振った。
「地球がおかしいだけだ。きさまは地球育ちだからわからんだろうが、宇宙的にはあの栄養食はうまい部類だぞ」
「信じられない…いえ、理屈ではわかってますけど、あんなのが上等だなんて…」
「あらぁ、宇宙にはおいしいスイーツがないの? それはさみしいわ」
「そうなんですよ、もう自分で作るしかなくて」
「じゃあそのフリーザちゃん、とっても幸せね。クッキーちゃんみたいなすてきなコックさんが来てくれたんですもの」
「はあ?」
「えっ…」
宇宙の帝王にありうべからぬ呼称が飛び出して、私は吹き出しそうになるのを必死に耐えた。
決して悪い人ではないが、始終これでは、ベジータさんが逃げ出したくなるのもわかろうというものだ。現に正面ですごい顔をしている。
いやあ、それにしても。
笑いも微妙にひきつってしまうな、フリーザちゃんの呼称。
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