「編める長さでしたら今日は長さを整えて、ふわっとパーマをかけて、あとは潤いトリートメントとヘッドスパを中心にやっていきましょうか」
「あ、はい」
 
「普段ネイルをできないご職業なんですね。じゃあ爪のケアと甘皮のオフ、全体的な艶出しをいたします。ハンドオイルも塗っておきますね」
「ええと…はい、じゃあ、それで」
 
 言い訳をさせてもらえるなら、こんな反応だが嫌々ではない。私はそれなりに楽しかった。
 面白いことは面白いのだが、馴染みがなさすぎて落ち着かず終始キョロキョロしていた。なおエステは気持ちよかったが、何を言われたかまでは覚えてない。全身にいい香りのオイルを塗られ、揉みほぐされているうちに寝てしまった。
 なにはともあれ、本日担当してくれた皆さまのプロの仕事のおかげで、今体中がピカピカのツヤツヤでいい匂いがする。凝りがほぐれてこころなしか体も軽い。
 エステなんて生まれてこのかた行ったこともなかったが、やってみるものだ。
「うん、素敵になったじゃないの」
「ありがとうございます、ブルマさん。私一人じゃ絶対しない体験でした」
 とはいえまだ終わっていない。最後はブティック巡りだそうで、その前に彼女のご贔屓のレストランでお茶とケーキを楽しんでいた。
 天井が高く開放的なつくりの店内は、白とブルーを基調に清潔かつ上品な色合いでまとめられている。食器やカトラリーの趣味もいいしメニューも凝っていて、好みのタイプの店舗だ。これは近くにあったら通ってしまう。
「カードもらったから場所はわかるでしょ、ちゃんと数ヶ月ごとくらいにはメンテナンスに行くのよ」
「えっ、あ、はい」
 どうせ編むんだから一年近くは行かなくていいや…などと思ったのを見透かすように思い切り釘を差された。前から思っていたが、このご家族は読心術でも使えるんだろうか。私がわかりやすいだけか。
 とりあえず目の前のケーキを一口含んでごまかした。
「チョコムースとシトロンのコンフィ…カカオの苦みが強いチョコにレモンの酸味、ぎりぎりで調和が取れてる。一歩間違ったら台無しになるくらいクセが強い味なのに、これは凄い」
 ダークチェリーのタルトやクレープシュゼットも気になるし、なんなら食事はもっと気になる。今度はメモを持って一人で来よう。
「あんたの興味の向きってどうしてそう極端なの」
 思わずケーキを崩し、断面をまじまじと眺めているとブルマさんに呆れられた。
「解像度がぜんぜん違うじゃないの。ほんとに料理のことしか考えてないんだから」
「フリーザ様みたいなこと言わないでくださいよ」
 上司とは雑談するくらいの間柄にはなったが、それも善し悪しで、最近では人のことをワーカホリック呼ばわりしてくる。実に心外である。
「あら、それなりに仲良くやってるんだ。ベジータなんかはけっこう心配してたけど」
「え、あのベジータさんが」
「結構丸くなってね。フリーザの野郎は何をしてくるかわからんって、環境が悪いから気になるみたいな言い方ばっかりするけど、意地張ってるのよ」
 
 会ったばかりの頃は自分勝手で大変だったとブルマさんは笑っているが、それはやはりナメック星とやらでフリーザ様が一度死んだ直後、つまり軍を抜けたばかりの頃だろうか。
 噂には聞いた、フリーザ軍が一番ギラギラして勢いがあった頃。
 権謀術数の中で生きられる性格の人には見えないから、ベジータさんも相当大変だったに違いない。ましてあんな上司が育ての親みたいなものだなんて、ひとごとながら胃が痛くなる。
「大変だったんでしょうねえ」
 きっといろいろあったのだろう。思わず他人の心配までしてしまうくらいに。
 それを思えば、こうして余裕ある暮らしをできるのは奇跡みたいなものだ。
 私はいい転職をした。
 
「さ、食べ終わったら服買いに行くわよ」
「……はい」
 このまま帰りたいくらいの気持ちだったがごまかしは利かず、ブルマさんはコーヒーを飲み干し、早々に車のキーを持って出て行ってしまった。
 せめてあまりひらひらしてない服と、踵の低い靴を選んでもらおう。
 
 * * *
 
「……。」
「……。」
「…ど、どうですかね、だいぶ変わったと思うんですけど」
「女の髪やら服なんかオレが知るか」
「あ、はい」
 それはそうだがもう少し言い方があるのではなかろうか。私だってはかばかしい回答を求めていたわけではないのだ。
 
 カプセルコーポレーションに戻ってしばし。
 ブルマさんのお母様はあらとってもかわいくなったわとテンション高く褒めてくれたが、今目の前に座ったベジータさんは、苦虫を噛み潰してくしゃみを堪えていたところを正面から殴られたような顔のままだ。こんにちはの一言もなく、入ってきたときから一貫してこう。この人は本当に社会人だった時期があるのか。今度フリーザ様に聞いてみよう。
 なにをそこまで露骨に不機嫌になる要素があったのか知らないが、ここにいるしかない私の身になってくれ。
(なにこの息の詰まる感じ…)
 ブルマさんとブリーフ博士は、見たいと言うから貸してあげた宇宙最新鋭の機体に大喜びしてその辺を飛び回っている。たぶんあと一時間は帰ってこない。
「おい」
「はい」
「フリーザの野郎は…なんだ、相変わらずらしいな」
「ええと…」
 思わず困惑した。いったいどこの時系列の話だろう。
「ベジータさんが軍にいらした頃からですか」
「ああ」
「私はその当時いなかったんでよく知りませんが、軍全体の空気はずいぶん様変わりしたみたいですね。フリーザ様は……まあ、ああいう方なんで、変わられたか分かりませんけど」
 とはいえ、地獄に落とされても魂の浄化を避けるために精神統一していたらしいから、ずっとああだったんだろうなと想像だけはついている。
「昔から胸くその悪い野郎だ」
「でしょうね」
 私にとってはもうそこまで悪印象はないが…いやウソだ、やっぱりちょっとあるけど、そこそこ、まあまあ、馴染んできた上司である。
 しかしベジータさんにとって彼は一族郎党の仇で、多少共闘したからといってそうそう許せるものではないだろう。あまり多くは語らないことにしておいた。
 
「それで」
「はい」
「どうなんだ」
 なにが?
 
「フリーザに何かされていないかと聞いてるんだ!」
「なんで怒られたんですか今!?」
 
 急に語調が荒くなった。気性難にもほどがある。頑固おやじかこの人。
「怒っちゃいない! ただ貴様は…つまりだ、地球人だろう。こんな弱い民族が、あのならず者どもの集まりで、満足にやれているのか」
「えっ」
 言い捨ててそっぽを向いてしまったが、つまり心配してくれたらしい。
「ええと、ほかはどうなのか知りませんが、私にとっては結構いい環境ですよ」
「……そうか」
 厨房の責任者。
 強さがすべてのあの組織の中において、私のこの立場はけっこうなイレギュラーだが、決して悪くはない。
 お給料はしこたま出るし、部下たちも聞き分けがいいし、最高責任者から末端の清掃員まで満遍なく顔が利く。各種の備品だって、欲しいものが思いつかないくらい細かく支給してくれている。怪我をしたら高性能のメディカルマシンを使える。今のところは言うことなしだ。雇い主の頭がおかしい以外は。
「ならいい」
 彼が顔を背けるのと重なるように、意地を張ってるだけよと、不意にブルマさんの呆れたような笑い声が甦ってきた。
 悪い人でないのは知っていたけど、これは思った以上にわかりやすく…また、第一印象ほど気性が荒いわけではないのかもしれない。
 フリーザ軍に就職した一般人に、どう接したらいいのか計りかねているだけなのだろう。
 勝手ながら少しなごんだ瞬間。
 
「あらぁ、ベジータちゃん!」
 愛嬌のあるソプラノボイスが聞こえた瞬間、逞しい肩がびくりと跳ねた。