少し前から、俺の職場は通夜みたいな空気になっている。
 そう表現すると他人事のようだが、実際は俺にも関係がある話だ。というより、フリーザ軍の中に無関係でいられるやつはひとりもいないだろう。
 横目で窺うと、食堂の誰も彼もが似たようなしけた面を下げて、もくもくと飯を詰め込んでいる。
 俺は溜息をついて、目の前の皿によそわれた炒め物をすくって食った。
 あまくもなし、からくもなし、うまくもなし、まずくもなし。
 いや、最初はこれよりひどかった。それを思えば、ちゃんと皿によそった熱いものを食えるだけましになったと言うしかない。
 最初はただの栄養の固まりとしか呼べない味で、それが当然だった。ちょっと考えれば当たり前のことだろう。フリーザ軍はあちこちの星からさまざまな種族が集まっている。その莫大な人数が問題なく摂取でき、かつ必要な栄養素をまかなえる食事。
 そんなもんがうまいはずないのだ。
 突然フリーザ軍に放り出された地球人はそれに断固としてノーを叫び、俺達の舌を肥やしておいて、わけのわからないうちに消えてしまった。
 俺達がなにをした。
 いや、彼女もたいがいひどい目に遭ったと思うが、やれと命令したのはフリーザ様だ。ついでに実行犯はもう死んでいるんだから責任の問いようはない。
 
 そして、当のフリーザ様は今この鑑の誰よりも殺気立っていた。
 くだんの地球女が消えてからこっち、あちこちからコックが呼ばれているが、一人として要求する水準には達していないのだ。
 技術がどうこうよりも、門外漢の俺から見ての話だが、あきらめが早すぎるのだと思う。
 できるかと問われたことに対し、そんなものは宇宙中で見たことがない、無理です、と断言して足に穴をあけられた料理人を俺達は何人も見送ってきた。知識が多くなったからこその弊害だろう。
 いちおう手を避けてやっていたのは、鬼の上司とはいえなにか思うところがあったのか…または気まぐれのひとつなのか。
 しかし、そのうちの一人はこともあろうか、自分の料理で満足いかないなら銀河のどこを探してもあなたの舌を満足させることはできない、だなんてよけいなことを言ったおかげで、フリーザ様の怒りを買って宇宙空間に放り出された。
 あの女がいなくなる前のこと、雑談ついでに「いっぱしの料理人は、私が誰より一番って気持ちで仕事をしてる」とか聞いた覚えがあるので、職人のそんな鼻っ柱の強さが完全に裏目に出ていた。
 彼を呼んだ責任者までとばっちりで減給されたくらいだ、よほど腹に据えかねたんだろう。
 
辺境の田舎惑星のコックの味に負けていながら、誰が銀河で一番の腕ですって? ジョークにしては笑えませんね
 
 その台詞を俺はたまたま現場で聞いていたが、フリーザ様の声のおっかないことといったら、聞いてるだけでビビり上がって顔も上げられなかったもんだ。
 今の食堂のメニューは彼女が残していったマニュアルに合わせて作られているが、やっぱり総指揮官がいなければ変わる。味はあきらかに大したことのないものに落ちた。とはいえ、むこうもむこうで指揮官を欠いた中必死にやっているので、追い打ちで文句をつけるやつはいない。フリーザ軍、すなわちならずものの集まりにも、その程度の人情はある。
 そうしたわけで現在軍内はどんよりとシケた空気で、皆必要以上の口を利く気にもならぬまま、たいしてうまくもない飯を食っていた。
 誰も何も知らない頃はもう少し活気があった。
 うまい飯があんなに嬉しいなんて俺達は知らなかったから。
(恨むぜ、ほんと…)
 食事を水で流し込んで席を立ったところで、なんだか遠くが騒がしいことに気付いた。
 またフリーザ様が新しいコックでも呼んだんだろうか。今度のやつはよけいなことを言わなければいい。欲を言うなら兵士用の食堂にでも就職してくれるとありがたいんだが、さすがに望みすぎか。
 
 溜息をついて自室に戻った数時間後。
 とんでもないニュースを聞いて、俺は、いや、俺達は例外なく躍り上がって喜ぶことになった。
 
 * * *
 
 ビルス様いわく。
 前と同じ待遇で十分。別に下にも置かぬあつかいなどしなくていい、むしろしごき倒せ、しかし絶対に殺すな。自分たちが来たら何より優先して食事を出せ。ちょくちょく地球には帰してやれ。いろいろ話したがそんなところだ。
 
 あと大事な話。もしも私が死んだ場合は、発覚次第フリーザ様が破壊される。
 
 これを受けてはフリーザ様も、ただでさえ体色が白いのに真っ青になった。
「し、しかしビルス様! この地球人は羽虫より簡単に死ぬのですが…」
「さすがにお前達が殴らなきゃ死なないだろ」
 実はフリーザ様の訴えはもっともなのだ。
 はじめて部下を持った時だった。あなたも管理職となれば今までとは責任が違いますよ、しっかりやってくださいね…なんて、激励にちょっと背中を叩かれた。どこの職場でもある、上司と部下のふつうのやりとりだ。
 吹っ飛んで近くの計器に激突して脊髄を損傷したらしい。
 らしいとは、はたから見た話だ。何をされたかもわからず激痛とともに意識が途切れた。メディカルマシンがなかったら確実に死んでいたし、たぶんまた何度かお世話になる。
 黙ってほっとけば生きてるとかそういうレベルの話じゃないので、そりゃこんなのを生かしておけなんて命令されたらフリーザ様も困るだろう。
 でも言わない。私は死にたくない。
 とりあえず命の保証があって、やりがいのある職場に戻れる。地球にも帰ることはできる。そうなれば万々歳なのだ。よけいなことは言わないに限る。
「こちらでの業務内容に関しては、前の通りでよろしいのですね?」
「興味ないね、どんな仕事をさせようが別にいい。ボクが来たときにだけ最優先でおいしいものを出せ。じゃあな」
 言い捨てると、ビルス様はもう本当に興味をなくしたのだろう。ネコらしい気まぐれな調子で、ローテーブルでのんびりコーヒーを楽しんでいたウイスさんと一緒に帰っていった。何から何まで唐突な神様だ。
 
 指令室に沈黙が戻ってしばし。
 フリーザ様の赤い目が、ふとこちらへと向いた。
「……た、ただいま、戻りました」
 とりあえずご挨拶をすると、ものすごく大きな溜息のあと、フリーザ様はあきらめたように数度かぶりを振って、力なくおかえりなさいとつぶやいた。
「厨房はそのままにしてありますよ」
「恐れ入ります」
「あなたがいない間、部下の皆さんがずいぶん苦労していました。ねぎらっておあげなさい」
「もちろん、そのつもりです」
 だろうなあ…。
 ある日勝手に厨房に配属されて、やっと慣れたら責任者がいなくなるとは、想像するとちょっと泣けてくるほど不条理じゃないか。
 天災みたいなものではあれど、振り回されて大変だったのは私だけではないのだ。あとでよくよく褒めて、なんならまかないに私の特製メニューでもごちそうしよう。
 そう思っていたところだ。
 
「まず仕事があります」
「なんでしょう」
「わたしの夕食を作りなさい。オーダーはすべて前にあなたが作ったもののはずです。白い貝を使った前菜。茸のスープ。魚の…確か、テリーヌというもの。それからアザクルスの惑星の家畜を使った、あの柔らかな肉料理。デザートはお好きに」
「…かしこまりました!」
 
 ああ、これこれ! 戻った直後にフルスロットルでコース料理を指定してくるこのえげつない要求!
 まぎれもなくフリーザ様のもとに戻ってきてしまったんだと実感して、俄然燃えてきた。皆には申し訳ないがまかないは後だ。
 
 しかし、私のその返事を聞くなりフリーザ様が満足そうに何度もうなずいたのは、いったいどうしたわけだろうか。