8ページ分をようやく詰め込んだばかりの、レッド製薬創立記念パーティーのゲストリストが全部頭からぶっ飛んだ。
「なんて?」
「悪かったな、驚かせて」
実は知っていたんだと、いたずらを告白する悪ガキのように苦笑いするマゼンタ総帥の後ろには、今日はカーマインさんは付いていない。
それもそのはず。彼は今日私の家で完全にダウンしている。
昨晩、時計の針が天辺を回ったあたりでいつものごとくアポなしで押し掛けてくると、それまでも結構呑んでいたようなのにグラスへさらに度数の強いウイスキーを注ぎ、何も言わずに喉を鳴らして流し込んだ。
味もクソもない、まさに流し込む≠フ形容がふさわしい呑みかた。さては総帥がらみで余程のことがあったか、と私でもうっすら理解してしまったし、それを考えるととても止められなかった。
普段から鉄のような男だと思っていたけど、ウイスキーボトルを二本空けた数時間後にいつものようにしれっと出社は無理だった。
人間には限度というものがある。
いや、何とか立とうとはしていた。しかしさすがにそんな泥みたいな顔色で、仕事中に倒れたらどうすると言ったら糸が切れたようにベッドに沈んだ。あの様子ならたぶん丸一日は動けない。
そのようなわけで、私は今朝がたてきとうに消化の良さそうなものを作ってやり、二日酔いの薬と清涼飲料水、ついでに吐くならここに頼むとばかり洗面器も用意しておいて、自分で車を運転して基地まで来た。
「あの…それはその、昨日カーマインさんとどういったお話を…?」
こわごわと切り出して真相を聞いた私は、乱心の理由をこの上なく深く納得したのである。
正直誤解されてもしょうがないし、倒れるほど呑んだくれてもしょうがなかった。
「そ、そんなことが…」
一日秘書代わりの私がつけた葉巻を味わいながら、総帥はゆっくりとかぶりを振る。
「上司のためにと自分で用意した女に惚れたんだ、あいつもずいぶん悩んだろう」
違う。そうじゃない。
でもそう取るのはあまりにも自然すぎる。
マゼンタ総帥は女の柔らかい体が大好きと公言する、完全なヘテロセクシャルだ。
ずっと側にいて気心知れた部下、すなわちカーマインさんが、同性の自分を長年思い続けていたなんて考えたこともないはず。ましてや一度彼と私の距離が近いと気付いてしまえば、なんだあいつらデキてたのかと思うのが当然じゃないか。
実際に偶然からキスシーンを目撃したこともあると聞いて、私は思わずテーブルに頭突きをくれた。
「昨日言ったら、カーマインもカウンターに頭突きしたなぁ」
「そりゃしますよ!」
胃が痛くなってきたし、うっかり状況を忘れて素の口調が混ざる。
だからそのへんでやるなって言ったのに!
私はあまりのことに頭を抱えた。よく黙ってたなこの人。
腹心の部下が、自分とキスした直後の愛人をつかまえて、熱いキスをしていた。
間接キスという本来の目的など知る由もない総帥に、その絵面は嫉妬心にかられてのお清めにしか見えなかったことだろう。普通は二人ともきつい叱責をくらうし、ぶん殴られても文句は言えないというのに。
「い、いえ、あの…いまさらなんと申し上げればいいか「まあ待ちなさい。みなまで言うな」
誤解ではあれ本当のことを話せない以上は、見られたことだけが真実になる。
これほど不実なまねをしたのだ。せめて詫びを入れなければと口を開いたとたんに遮られた。
「さっきも言ったが、私は怒っちゃいない。
惚れたはれたに本人の意思なんか関係ないもんだし、それにきみ、カーマインのことは憎からず思ってるんだろう? いつも側で面倒を見てくれる世話役にあれだけ夢中で迫られて、絆されんほうが難しい」
それを思えばこんな風に言ってくれることはもう奇跡に近い。聖人かな。いや言いすぎた。もともと自分の女を別の男に抱かせて楽しんでいるような人なので、そのへんの意識だけが希薄なのだろう。
まあでも、私と彼のことを本気で考えてくれているのは事実だ。悪人だけど身内には情が厚いタイプとでもいうのだろうか。
だからマゼンタ総帥のことなら好きだとはっきり言えるのだが、カーマインさんとなるとちょっと困ってしまう。
彼と私の間には好きとか嫌いとかそういう感情が介在していない…ちょっと言いすぎた。きらいとまでは言わないし、なんなら友達とくらいは呼んでやってもいいけど。
「男に褒められても嬉しくないだろうが、あいつはいい男だ。ちょっと…いや、かなり偏屈で気性難だが…きみに心底惚れてるし、稼ぎもいい。きっと苦労はかけんだろう」
「ええと…はい」
現在進行形でかけられ通しなんですけど。
「だから、いずれはあいつの女房になってやってくれんかな。もしもきみに悪さをするようなら、その時は私が叱ってやるから」
今の時点でなんて返しゃいいのこれ!
「…い、今の時点ではなんとも。戻ってから彼とよく話しますので…」
「ああ、頼んだぞ」
それからマゼンタ総帥はすっかり冷めた緑茶を一気に煽り、変なところに入ったのか盛大にむせ込んで、気まずそうに息を整えてから、背中をさする私の手を取って笑った。
「はは、そうだろうと思ってたが、やっぱりきみの所に転がり込んでたな。あいつ」
「あっ!」
いつもポカばっかりやっているようで、この人はこういうところが本当に抜け目ない。
それでいて懐に入れた相手にはあんがい情が深いとなれば、自分ごと捧げたくなるカーマインさんの気持ちもわかってしまうというものだ。
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