意外と尊厳を保っていられる愛人稼業もあったものだ。
あのレッド製薬の社長の愛人だ。てっきり認可されてない気持ちよくなるお薬のひとつやふたつは出てくると思っていたし、また、この手のお偉いさんは裸の女をたくさんはべらせて派手に遊ぶものだとも思っていた。
しかし蓋を開ければ、マゼンタ総帥は悪人だが意外なほど感性がまともなほうだった。
いや、確かに性根は悪人そのものなので、まともと言うのはおかしい。しかし少なくとも私がネット世界で見聞きしていたような常軌を逸した性癖は、キメセクやハーレム乱交くらいのレベルすらお持ちではないようなのだ。
そういうのないんですかと聞いたらむしろドン引きされてしまったし、たぶんアヘ顔や淫語や汚喘ぎとかも普通に萎えるタイプだろう。
気合を入れて官能小説をたくさん読んで語彙を増やし、ついでに発声練習までしてきたのに。ちょっとしょんぼりである。
まあ勝手に覚悟を決めすぎて拍子抜けするだけで済んだのだから良いことだろう。尊厳は大事にしておくに越したことはない。
なんなら大事にさせてくれないのは別の人のほうだ。
「…!」
ドアを閉めた直後に横合いから腰を引き寄せられ、壁に押しつけられる。眼鏡の向こうの目が鋭く細まったと思うと、そのまま強引に唇を塞がれた。
少ないとはいえ人目もなくはないのにずいぶんな真似だ。これというのもつい数分前、気をつけて帰りなさいとばかりマゼンタ総帥とキスしていたのが原因だろう。
総帥は優しいのに、こちらはまるで容赦のない蹂躙のようなキス。
口内をくまなく探り、何度も舌を絡めて、溢れそうな唾液を吸い上げ飲み込む。後頭部を押さえられているから逃げられもしない。
体の方は気持ちいいのだが、マゼンタ総帥に抱かれる時と違って頭ははっきりしているし、なんならこの男本当に気持ち悪いなと呆れてすらいる。
カーマインさんはだいたいこうだ。
この手の気持ち悪い間接キスの時もあるし、総帥に抱かれたあとの送迎時、車を人気のない場所に停めてそのままのしかかってくる時もある。運転手にあるまじき蛮行だ。車内はラブホテルではない。
まあマゼンタ総帥もだいぶ趣味の悪い方であるから、カーマインさんが運転する車の後部座席で抱かれたことも数回ある。
ついさっきまともと言っておいてなんだが、私の飼い主であるこの困った男どもは秘め事という概念がたいへん薄くていらっしゃるらしい。
とはいえ痛いことや体に後遺症が残るようなことは全くされないので、私が多少羞恥と気まずさに耐えれば済む。働かずにいい生活をできる対価としては安いもんだ。
「カー…マイン…さん、もうそろそろ」
胸を押す代わりに脛を蹴ると、彼は不満そうにしながらやっと退いた。
「困りますよ、人の来るところで」
「こんな朝から誰が来る」
確かに空がうっすら明るくなってきたくらいで、ゴミ捨てにも早い時刻だが、もうそろそろ人が起きてくることは事実だ。
「せめて屋内にしてくれませんか、見られる可能性はゼロじゃないんだから」
赤いジャケットの背を追って歩きながら文句を言うが、はなから聞いているとは期待していない。
変なところで変なふうに感情を切り売りする、思いもよらぬ仕事内容の愛人稼業に就いてしまったものだ。
私はハンカチで念入りに口を拭き、広い背中にそっと舌を出した。やっぱり思うところもなくはないから、これは教えてやるものか。私だけのちょっと愉快な秘密だ。
口の端にラメが残ってますよ。あんがい抜けた人。
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