目が覚めたとたんに煙草の匂いがした。
まさかと思って横を見ると、案の定。嫌々ながらもそろそろ見慣れたデカい男が死ぬほどかったるそうな目つきで、白いふかふかの羽根布団にうずもれるように、うつ伏せで寝煙草を決め込んでいる。
「ちょっと、カーマインさん。やめてくださいよ寝煙草。布団に灰が落ちるって何回も言ってるでしょ」
無視したあげく盛大に煙を吐いたので数回軽く蹴りを入れると、舌打ちと共に灰皿に煙草を押しつけた。それでいい。
マゼンタ総帥の側に控えているときにはいかにもできる男というきびきびした所作を崩さずにいるが、今は布団から起き上がる素振りすら見せず、いつもなら特徴的なリーゼントに固めている髪もぼさぼさのまま…とはいえ、これはなかなか悪くない。こういうのが男のギャップというやつだろう。できれば別の人で知りたかった。
「腹が減った」
「おはようの挨拶より先にそれですか」
あいさつは社会人の基本だと、あなたの大好きなマゼンタ社長がいつも朝礼で言ってるじゃないか。嘆かわしい。
嫌味混じりに指摘するとカーマインさんはじろりとこちらを横目に睨みつけて、大きく溜息をついてから起き上がった。
「昨日はろくに飯を食う暇もなかったもんでな」
「ああ、本部がらみの話ですか」
愛人契約は了承したし異動の手続きも済んだ。
ちゃんとお会いしたマゼンタ総帥も私のことを大変気に入ってくださっているし、あとは話に聞いたレッドリボン軍本拠地に移るだけ、というところだ。
レッド製薬本社ビルとレッドリボン軍の基地の中間の位置にいつのまにか家を用意されていた時は驚いたが、そこはこの男である。最初から予約のいらない宿の管理人にする腹積もりもあったのかもしれない。いつもアポなしで訪問しては泊まっていくので私はそう邪推している。昨日だって深夜に突然来た。
抱かれる時もそうでない時もあるが、どちらにしても態度は変わらない。
常時人を顎で使うのでこちらもびくびくするのがアホらしくなり、今では嫌味も言うし蹴りも入れる。
「何か消化のいいものはあるか」
「キャベツのスープならありますよ」
「それでいい」
住まいも豪勢になったし、総帥にお会いする際などはお金様の力を使って我ながら見惚れるくらいゴージャスな美女に変身するのだが、生活水準はこんなものだ。
とりあえずパンと卵を焼く間に出したのは、キャベツと角切りのベーコンだけ入った塩味のスープ。昨晩は深酒をしていたから丁度いいだろう。
特にコメントはないけど、この男はまずかったら二口目を食べない。
私はちょっと機嫌を直した。黙々と口に運んでいるところを見るに、彼にとってもそこそこおいしいはずなのだ。
「総帥はどうだった?」
「いいと思います」
まだ一晩しか一緒に過ごしてはいないが、マゼンタ社長…いや、レッドリボン軍のマゼンタ総帥は、思った以上に取っつきやすい人だった。
ぱっと見の印象通り、ドスケベかつ完膚なきまでのセクハラおじさんだが、愛人を持つくらいだからそんな程度のことは想定内。こちらがご奉仕したり甘えたりすると素直に相好を崩して可愛がってくれるのだ。まったく、私がかわいいとはなんだ。貴方のほうがかわいい。
お世辞にも善人ではない…というより絶対に悪人なのに、ちょくちょくやらかすヘマを見ていると、なんだか側についていてあげたくなってしまう。
「なんていうか、その、かわいい人ですよね。いいオジサンなのに」
「……。」
カーマインさんは一瞬なんともいえない表情をしてから、薄いチーズトーストに思い切り齧り付いた。
「まあ、気に入ったならいい。ここまでしておいて、今更お前を始末するのは手間がかかる」
「さわやかな朝食の席で始末とか言わないでくれます?」
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