頭の中にパズルがあるとして、はまりそうではまらなかったひとつのピースが音を立ててぱちりとはまったような。
 黒光りする革張りのソファに脚を組んで座った彼を見た瞬間、私はそんな、カタルシスに似た何かを覚えたのだ。
 
「話は以上だ。お前には今まで知りもしなかったような待遇を約束しよう。まあ、私生活のほぼ全てを俺が管理することになるが」
「愛人ですか…」
「不満か?」
「いえ、思っていたよりはだいぶマシなお話です。枕接待の人員でも探しているんだったらイヤだなと思っていたところでした」
 私がさっき考えていたことをなぞるように、対面のカーマインさんは脚を投げ出すようにソファへ浅く腰掛けて、笑った。
 河岸を変えようという提案に頷きを返し、魚料理からワインを数杯、メインの肉料理、チーズやアントルメ、コーヒーまでしっかりといただいたのち着いてきた二件目は、まさに私の想像した通り。
 下品で猥雑、表のナイトプールに色とりどりの照明がきらめいて爆ぜる、いかにも金持ちが一夜の相手をつかまえに来るような派手なナイトクラブだ。カーマインさんはその極彩色の照明の中を堂々と横切り、当然のようにVIPルームに通されて、今ウイスキーを舐めている。
 入った時から上客なんだろうなと予感はしていた。
 何を言われるより、彼にあまりにもこの店が似合っていたから。
 
 教えられたところによれば、マゼンタ社長の愛人候補を探していたらしい。
 口が堅く勘が良く、そこそこに柔軟な思考、一定水準以上の外見。それにプラスして、倫理観と貞操観念の薄さ。求められるのはそのあたりの要素。
「その基準をクリアしたのが私だけだと?」
「そうだ。加えて、最初の店に俺の雰囲気がそぐわないとはっきり言ったろう。今となってはなかなか聞けない評価だったぞ」
 レッド製薬の社長秘書に対して格式高い店が似合わないとは、たしかに、我ながらけっこうなことを言ってしまった。だがまぎれもなく本音だし、なんなら今正面でガラの悪い座り方をしている姿に多少安心すらしているくらいだ。不思議なものだ、話したこともなかった相手なのに。
「それで、どうする」
「マゼンタ社長の経営する別組織へ異動、住居も変更か…私生活を管理されるとは聞いたけどそこまで必要なんですか?」
「詳しい話は、お前が正式に異動してからになる」
 これ以上のことは受けなければ聞かせるつもりはないと。まあそれはそうだ。
「そうですね、じゃあ、お受けしましょう」
 あまりにさらりと了承したせいだろう、眼前でカーマインさんがさすがに意外そうな顔をしているが、問題はない。
 言ったからには見せてもらおうじゃないか。私の今まで知らなかった待遇というやつを。
 
 * * *
 
「愛人契約の件、確かに了承しました」
「ああ」
「でもそれは社長の愛人という話ですよ。少なくとも話の中に、あなたの夜の相手は含まれてなかったでしょうが! ああもう、重ったいな! クソッ!」
 大きくてスプリングのきいた、十分寝起きのできそうな品質のソファがぎしりと悲鳴を上げた。
 完全に油断をしていた。忠誠心の強いこの男に限って上司の女に手をつけるような真似はしないはずだと、妙な信頼を持ってしまったのが間違いだった。
 間近に迫った厚い胸を必死で押し返してみたが、か弱い女の力でいくらじたばたしても敵うはずはなかった。簡単に脚の間にぐいと体を割り入れてくる。心なしか得意そうなのはさっき虚を突いた仕返しのつもりか。なんておとなげのない男だ。
「マ、マゼンタ社長の女にするっていうのに、先に手なんかつけちゃっていいんですか?」
「逆だ」
「えっ」
 色付きのレンズ越しにごく近い距離で視線がかち合い、唇を塞がれる。軽く舌が触れた拍子、男の飲んでいたウイスキーと、さっきまで飲んでいた蒸留酒の香りが混ざる。
「社長に献上する女だからこそ、ベッドへ寄越す前に俺がこっちの具合を見ておきたい。明日は服と下着と化粧品を一揃え買いに行くからそのつもりでいろ」
「うわ、気持ち悪い」
「気持ち悪いとはなんだ」
 思わず素の感想が出た。睨まれたけどしょうがないだろ本心なんだから。
 そもそも自分の上司の女ものの下着の好みまで把握しておいて、そんな心外という顔をしないでほしい。誰に聞いても絶対気持ち悪いって言う。
「この体勢でいまさら突っぱねても、あつかいが乱暴になるだけでしょうね」
「たぶん」
 何がたぶんだ。こんなによくわからない男ははじめて見た。
 おそらく客同士が仲良く≠キることも多いであろうこういうクラブなら、当然VIPルームは防音処理がされているだろうから叫んでも無駄だろう。私はおとなしく腹をくくった。
 
「これでもし下手くそだったら語彙の限りを尽くして罵倒してやりますから!」