「誰やあれ」
「花屋」
の答えは簡潔だった。
 
言われてみれば今は後ろ姿の男は、泥汚れの付いた前掛けをしていたような気もする。
張としても特に意味のある問いかけではなかったが、そうと聞けば今度は署に花屋がなんの用事があるのかと疑問が湧いた。
警察署なるむくつけき男どもの巣窟にわざわざ花など持ってくる物好きも滅多におらず…目の前に世にも希な女がいるにしても、この女がそういった方面の気遣いを見せたことは一度もない。
「切り花しかあらへんやんか。それも署長はんの机に三、四本ぐらい」
「ここじゃなくてね、ちょっと前から個人で定期的に手入れしてもらってるやつが一本あるの」
「定期報告っちゅうやつか」
「そういうこと。私は土いじりは専門外だから」
「何植えてん?」
「椿」
薄気味悪い花を好む女だと咄嗟に思った。
士農工商の身分も廃止されて久しい昨今、しかも別に侍の家柄なぞでもない自分でも、あの赤い首がぼとりと落ちる様はやはり縁起の悪い印象がある。西洋では好まれるらしいが、あまり進んで見る気にはならなかった。
「興味あるなら、そろそろ時期だし一緒に行く?」
「椿なあ…ん? あれ今やったっけ」
人のことなど四の五の詮索しても詮無いことだ。椿の時期にも興味はない。
「別にええ」
「そう? まあ非番だしね。それにかわいい女の子ならともかく、来るのは緋村さんだし…ああ、あの人かわいいことはかわいいか。主に顔が」
「は?」
緋村剣心。二つ名を人斬り抜刀斎。
数度会ったことはある(というより、初対面で勝負を吹っかけて見事に負けて捕縛された)のだが、まさに人斬りという気迫を見た後では拍子抜けするほど、平時はまこと女のようにほやほやとしたやさ男である。
土いじりが趣味だと言われてもあの様子ならば納得はできるが、それにしても取り合わせがおかしい。
「ウラになんぞあるんか」
「裏って言ったら、まあ、裏はあるよ。ちょっと表沙汰にできない話」
「なんや、また知ったら面倒臭なる話かいな」
「うん、面倒かどうかはともかく、少なくとも名前の出せない人のこと」
「ほー…」
名を出せないとは、その人物の出自が明らかになってはまずいお偉方がいることに他ならず、加えて公的な籍のないや、往年の人斬り緋村抜刀斎が関わっているともなれば、裏にいる誰かとは明治政府の…それも中枢深くにがっちりと根を張り食い込んだ、どこぞかの派閥の某彼某…などという話になろう。
表沙汰にできぬ話の正体とはそれか。
(政府のいざこざ聞いてもしゃあないけど、名前も出せへんほどヤバいっちゅうたら…どないな奴やろな)
興味がないと言えば嘘になる。
しかし緋村抜刀斎にゆかりのある話ならば、あまり積極的に関わりには行きたくないのも本音だった。
幕末・維新のさなかを潜り抜けてきた連中は数人知っているが、(志々雄真実は大いなる例外として)抜刀斎といい斎藤といい、彼等は立場に依らず独特の“いめーじ”を持っている。
どこかで一線を引いた余所余所しいその空気は、自分にとっては妙に相容れないものがあり…その点、腹は立つが打てば響くあのニワトリ頭の方がまだやりやすい。
 
「やめとくわ」
「そう、じゃあ久し振りにゆっくりしてなよ。緋村さんによろしく言っておくから」
それは普段人の好い顔を見せている抜刀斎でも同じ…いや、虫も殺さぬ顔だからこそなお際立つ。刀を振ろうと人を斬ろうと自分には決して見えぬものを、あの男は明治という時代の向こうに常に透かし見ている。
お前には解るまいという顔をして。
実につまらぬ。
 
(…何がよろしくやけったクソ悪い。アイツ絡みづらいんじゃ)
誰が付いてなど行くものか。