安定しているようでいて危うい立場は、いわばお互い様だ。
かたや実力でその立場をもぎ取りはしたものの、元は国家転覆を謀った重罪人、しかも忠誠心などはなから期待されるべくもない裏切り者。
かたや国家権力の傘の下でのうのうと暮らしているように見えながら、その実籍はどこにも存在せず、使い捨てにされたとしても世間には知られぬ非公式の身の上。
普段は言わぬようなことすら話してしまったのはそれ故だったのだろうか。
「…以上が作戦全体の概要。何か気になったとこある?」
「ここに書いてあるアタマの男、ワイの知らん名前やな…」
いうて十本刀ちゅうても事務仕事には関わっとらんかったし、こないなとこに名前の上がる位置や、方治はんやったらまず確実に覚えとんねやろけど。
元“刀狩”はそう付け加えて気まずげに頭を掻いた。
 
明治十一年。いまや横浜といえば世界と日本を繋ぐ窓口である。
そこかしこを異人が行き交い、日本のさまざまな文化が運び出され、また各国の様々な文化が奔流の如く流れ込んでくる、まさに流行の最先端。
真っ当な商売人も多いが(というより、大半が善良だからこそ)その陰に隠れて悪党もひっそりと根を下ろしやすい土壌であり、数年前まで見向きもされなかった小さな港町は、近年良くも悪くも目の離せぬ土地になりつつあった。
上層部の掴んだ話では、志々雄一派の残党がそこに潜んでいるという。
戦艦“煉獄”を沈められたのち、志々雄真実について比叡山のアジトへ向かったのは一派の中でも中枢に近いごく一握りの者だけであり、それ以外の…いまだ明治政府の転覆を狙う勢力は各地に散り散りになっている。
今回、異国の品々に紛れて運び込まれる諸外国の武器を買い付けに来るとタレコミがあったのもそういった一派の生き残りだ。
密輸組織の摘発は別働隊に任せて、顔と名の知れた「元」刀狩を潜り込ませ、内部から潰しにかかる。
それが今回の任務だった。
 
(…これは、私の立場で言ったらいけないことだ)
 
理では解っている。
しかし、この数ヶ月なんだかんだと文句を言われつつ共に歩んだ手の掛かる相棒を、放っておくのは人情として気が引ける。
「張くん」
「あん?」
「さっきはさらっと言ったけど、この任務は危険度が分かり難い。元幹部だからって丁寧に扱ってくれるかもしれないし…怨敵明治政府に尻尾を振った裏切り者だって殺しにくるかもしれない」
「せやろなあ」
「だから、これあげる」
「…!」
重い包みを差し出すと、中身は予想がついたのだろう。張ははっと顔色を変えた。
「これ、ワイの刀やんか!」
「見つけられなかったみたいだから」
 
も最近になって知った話であるが、斉藤一は単身蝦夷地へと渡る直前、ひとつのささやかな策を講じていた。
“刀狩”と称される男の最も大事な刀、しかも特に気に入りのものを何本か持ち出し、署の管轄内のどこぞかに隠した。
やられたと知った時こそ張は怒り心頭であったが(なお怒髪天の持ちネタはここでも挟んできた。本当に怒っているのかとは思う)、人を使って探そうとすればことの顛末を教えなくてはならず…よもや刀狩の二つ名の男が刀を盗まれたなどとみっともないことは口が裂けても言えぬ。
故に愛刀をもう一度手にするには、どれほどいやでも各所をくまなく歩き回り、自分の靴底をすり減らして探すほかはない。
逃亡を防ぐのは勿論のこと、毎日そのあたりを歩き回っていれば自然と土地勘も養われる。警邏にもなる。ならず者だが市井の人間には気のいい男であるから、近隣住民に知り合いができれば幾分かの情も湧く。
先日人斬り抜刀斎こと緋村剣心を訪ねていったのもその一件で…要は一度こてんぱんにやられた“番犬”の後ろに隠してあると推測したのだろう。
…実際は見事に当てが外れ、二人して腐葉土の味の味噌汁を飲む羽目になったのだが。
閑話休題。
そのような次第である。もちろんとしては斉藤の決めたことに四の五の意義を唱えはせず、講じた策を妨害するような出過ぎた真似もしない。
しかし、ほんのわずかに手心を加えるくらいは現場の人間の特権であろう。
「私は今から独り言を言うよ。人に聞かれちゃまずいから、もし聞いたんならすぐ忘れて。いいね?
 張くんはバカだけど状況判断は得意でしょ、殺されるかも知れないってなったら、すぐそれを嗅ぎつけられると思ってる」
「関西人にバカ言うんは禁句やからなワレェ!」
彼の怒声はいつものことである。は意に介さず続けた。
「だからさ」
「お、おう…?」
「……殺されそうだって思ったら、刀持って逃げるといいよ」
“元新撰組”の立場は有事の際こそ役に立つ。
政府の紐付きと称されながらも、斉藤一こと藤田五郎は今でもなお、その実力と非情さに裏打ちされた発言権を持っている。
はその狼と十数年をともに過ごしてきた部下だ。公的な籍はなくとも、よく使い込まれて手に馴染んだ道具のように各所でずっと使われてきた実績は、政府といえど…否、人材不足に喘ぐ今の政府であるからこそ、無視はできぬはずだった。
なにせ斉藤は無能と臆病者は部下に持たない。
(だからこそ張くんも同じ…「こいつならまあ使ってもいい」って思ったから連れてきたはずなのよね)
死なせたとしても斉藤は怒りはしないだろうが、鉄仮面のような愛想のない顔のむこうで人知れず悼みはする。そういう男だ。
「そないなこと言うてええんか」
「よくないよ、だから独り言だって言ったでしょ」
「アンタ…「わかったら、覚えたところでこの書類はもう焼くよ。公的には志々雄一派は存在してなかったことになってるんだから」
書類を焼いたあとのことまでは知らない。
張がいつものように要領よく逃げおおせようと、失敗してそのあたりで斬られて死のうと。また…自分達に義理立てをするような男ではないと認識しているが、それでも戻ってきて再度こき使われる道を選ぶやもしれぬ。どうするにしても彼の人生だ、好きな道を選べばいい。
できれば死んで欲しくはないが、それ以上四の五の口を出す筋合いもないだろう。
 
「明日には朝一で横浜に発つから、それまでにどうするか決めといて。私は人を集めてくる」
わずかばかり待ったが、結局答は返らぬままだった。