「うふふ」 誰も彼もが被害者であり加害者。 犠牲者のむくろばかりが増えて重なり合い、それでいながら奇妙に乾いた、血の匂いの風が吹く。 幕末期の京とはそんな町だった。 「刃衛さん…」 「どうした、普段屯所に籠ってるお前が表に出るとは珍しいじゃないか」 斎藤隊長から何かお達しでもあったか。 ふらりふらりとまるで幽鬼のような…まったく殺意も闘気も感じさせぬ足取りで、鵜堂刃衛は滑るように近付いてきた。 一見すればこの男は至極“ふつうの”隊士である。 身の丈は高いが飛び抜けたほどでなし、隆々とした体躯は見て取れるものの、もっと化け物じみた体つきは組内に多くいる。しかし見るものが見れば男の目にある病的な輝き…血肉を切り裂く感触への病的な執着が解る。 生者を引き込む亡霊じみた死への妄執は、斬ることも斬られることも同程度に求める性嗜好となって現れていた。 その通り名を人斬り刃衛。 壬生狼きっての危険人物は、の肩の向こうを透かし見るようにして笑っている。 浅葱の羽織をべっとりと汚す血とその笑みは、ついさきほどまで思うさま人を斬っていて…とりあえず今は満足しているのだろう。 「不健康な人みたいに言わないでくださいよ、人聞きの悪い…私はそこのお宿に下働きの名目で偵察に」 本来であれば密偵の仕事上、はち合わせた瞬間(いかにも若い娘らしく)きゃあと叫んで身を翻して逃げるくらいはしなくばならなかったが、その前に背後から有無を言わさず捕獲されてはどうにもできず…そのうえ余計な手向かいをすれば、刃衛はおそらく妙に燃えてそのままの身を辱めるか、最悪は斬られて鴨川に浮かぶ。運良く逃げられたとしても異様にしつこく追われることになる。 本気で自分の身を守ろうと思えば、半端な抵抗はかえって逆効果になるのが鵜堂刃衛という男だった。 「今気付いた、いつもと違って少しは娘らしいなりをしているな」 「もうちょっと早く気付いてくださいよ」 宿内に潜伏しているはずの長州者に見られたらどうしてくれるのだ。 そこまで言いたかったが、ひょっとすれば刃衛が人気のないところまで自分を引きずって運んだのは、そのあたりを考慮したからかもしれぬとは口をつぐんでおいた。 (…どうしようもない殺人鬼だけど、まあ一応理性がないわけじゃないのよね、この人…) 「お前の着物なぞ着てるか着てないか程度の違いだろうに」 「やっぱほとんどないわ」 「ん?」 「いえ、なんでも」 が頭痛を堪えてこめかみを押さえるのと、刃衛が鯉口を切るのは同時だった。 眼前で鬼火の瞳が嬉しげに細まる。銀色の刃が踊る。夜の京の冷気が微風になって頬を撫でる。 きん、と軽い音が通り過ぎていく。 一瞬で命が刈り取られる気配。 「!」 はばっと背後に向き直った。 今さっきまで立っていたであろう着物の男の…これほどぽかんとした間抜けな顔をしていなければそこそこに引き締まった、宿でよく見る顔が、まさに首ごと刈られて地面に崩折れる瞬間だった。 「…何か言われる前に口を塞がなくてはなあ、うふふ、ふふ…」 まだお前は脇が甘い。 その指摘もご尤もでございますと思わず納得の、まさに早業だった。 人斬り刃衛は人格的には問題しかないが、その腕一本で壬生狼の群を生きているだけのことはある。 「この男、確かお前のいる店を定宿にしていたはずの浪人だな」 「は、はい。顔見知りです」 目的の男とはまた違うが、自分の掴んだ情報ではおそらく土佐あたりの脱藩浪人であったはずだ。 「なぜ土佐と?」 「ええと、訛りを隠すような話し方と、あとは足が」 「足…?」 「寝っ転がってた時に見ましたけど…うわ重っ、よいしょ、ほらこれ。足の皮がすごく厚いです。日常的に引きずり回されでもしていたみたいに。 別の隊士の人が監察と話してたのを聞いたんです、この辺でお国訛りを隠す必要がある奴はだいたい長州、薩摩、土佐あたり。中でもそんな拷問みたいに人を引きずり回して許されるような国は、身分制度の強い土佐」 「ほほう」 宿は明日からしばらくの間ぴりぴりと不穏な空気になるだろう。 「この人は目的の長州と繋がりはないみたいでしたけど」 「まあ、それは仕方ない」 「ですね」 悪いと思う気持ちはあれど、こうなった以上斬るしかないことは事実。ばれるよりはましというものだ。 軽くむくろに手を合わせはしたが、は今更無実の一人が殺されたからといって罪悪感に潰れるほど不慣れではなく…また(人斬りだなんだと呼ばれるほどではなくとも)、人を数人ばかり殺したくらいの経験もある。 すなわち、この時代においては“ごくふつうの”人斬りどもの部下だった。 「それと余計なお世話かもしれませんけど」 「なんだ」 「今の羽織、その様子じゃたぶん洗ってもどうしようもなさそうなんで、焚き付けにでもして新しいの発注しておいてくださいね」 「有り難い。使い道に困る程度の金は持ってる、自費で変えろと言われても構わんところを、わざわざ経費で落としてくれるとは」 「副長がこの間松本先生に叱られたみたいです、血を媒介に移る病気もあるんだから、汚い着物を洗わないぐらいならいっそ焼き捨ててしまえとか」 それは副長こと土方の話だけでも、刃衛だけの話でもなく、新撰組という蛮族どもの群れ全体へのお達しであったらしいが。 「ああ…そういえば屯所は全体的に臭いな」 「そういえばって鼻でも詰まってるんですか、一歩入るともう臭いですよ」 当然の話ではあった。汗をかくことが仕事の一環であり、屁をこらえる理由もない若い男の巣窟が清潔であったらはかえって驚く。 入ったばかりの隊士は、まず新撰組なる蛮族集団に女がいると思わず(組内に女人禁制の法度は存在しない。女の方がめったに寄ってこないだけの話である)、よもや誰か幹部の囲われ者ではないかと腫れ物に触れるように接する。 じきにあまりの飾り気のなさに杞憂と知れたあとも…まあまあ、少しは、気を使ってくれるのだが、生きて過酷な隊務を半年ばかりこなした頃合いでだいたいが掃除という概念とともに女一人の存在もどうでもよくなり、夏場ともなれば普通に褌一丁で水浴びをするくらいになる。さすがにどうなのかと思わなくもない(女がどうこうよりまず屯所は一応寺だ)。 とはいえ、変に女らしい装いをして意識されるよりははるかに安全なため、普段のはもっぱら楽をするほうを優先していた。 「しかし、なんだ」 「はい…?」 「やはりまだ物足りんな。洛外か骸街にでも出向いてもう数人斬ってくるか…お前は碌に抵抗しないからいまいち勃たん」 「…できましたら生涯その気にならないようにお願いします」 なお、たまにはこのような例外もいる。 「じゃあ私回り道して宿に戻りますから、刃衛さんも…ほどほどは無理か、夜が明けるぐらいまでには屯所に戻ってくださいね。沖田隊長がろくに掴まらないって言ってましたよ」 言っても聞くような男ではないと知っているが、どこぞで刃衛を見たら言っておけと言伝てられた手前一応告げておいた。後のことは知らぬ。 「うふふ…ああ、いいだろう。 まったく、そろそろこの楽しい時代もお仕舞いだ、その前に人斬り抜刀斎にでも会ってみたいものだがな…ふふ、うふふ…ふふ」 「って言っても…京は広いし、運が向くのを祈るしかないですね。わりと広範囲で物乞いやってた私でも会ったことないですよ、抜刀斎」 「何だ、知らんのか?」 「え?」 「お前が斎藤さんに拾われた日の、例の死んだ隊士…その抜刀斎に斬られたやつだ。ほかにも監察が割り出した抜刀斎の行動範囲、お前と…うん、なんと言ったかな…外来語では“にあみす”とか。直接の面識はともかく、よく行き合っているようだがなあ」 お前は斎藤さんの預かりで間者の線は薄い、何か縁でもあるかもな。 鵜堂刃衛はろくでもない事実を、まるで微笑ましいことのように笑った。 「まったく羨ましいことだ。…そうだ、お前と逢い引きでもすれば会えるやもしれん」 「絶対いやです」 |