「だからおれはお守り役じゃねえって言ってんだろ、大概にしろよおい」
「いや、そこは承知だけどよ、あんた以外に止められる人がいねェんだって! 頼むにいさん!」
「…しょうがねェなあ」
人魚、魚人を問わずサメ種には珍しい猫に似た金緑色の瞳が暗闇でぎらりと光り、魚人街の薄暗い街並みの中に、流線形のフォルムが躍り出る。
「あ、にいさん!」
「助かった、来てくれたのか!」
「頼むよ、また暴れ出して…おれ達じゃ手がつけられねェ!」
「おう、任せろ!」
周囲から口々に掛けられる声に更にスピードを上げ、目的の酒場に滑り込むと、もう客は大方逃げたあとだろうがらがらに空いた店内のカウンターの中で、店主だけが頭を抱えて震えている。周囲には未だに濃い赤い色が漂い…最早には馴染みすぎた顔が、その血霧の中心で剣を握ったまま意識を飛ばしていた。
「はぁ…おい、起きろアル中」
揺すったが、返事は意味のわからない言葉と鼾だった。
「………。
起きろってんだよタコ!」
頭を張り倒し、掴んだ肩をさらに力任せに揺さぶると、アルコールに蕩けきった酔眼が漸くこちらを向く。
「ほへ?」
「やっと目が覚め、おわッ!」
「ん…うるにゃい!」
アルコール浸けのその有り様からは到底考えられないような、俊敏そのものの一閃が水を薙ぐ。
再度斬りかかられて身を屈めた頭上ぎりぎり、鋭利な刃が靡いた髪の何本かを斬り裂いた。
「この、アホオヤジ、がァ!」
店主の悲鳴が上がるのを背中で聞きながらは素早く身を翻し、大きくしならせた長い尾で、男…ヒョウゾウの横っ面を強かに打ち据えた。
効果は覿面だった。壁際まで殴り飛ばされたまま反撃に移る気配もなく、ヒョウゾウは上機嫌にへらへらと笑う。
「ん〜…なんらァ、おまえか」
「おう、気が付いたか…そうだよ。おれだ」
「にゃあ、おまえものみいきあろかァ?」
「違ェよバカ、あんまり店に面倒かけんな。帰るぞほら」
力の抜けきった体を尾で軽く叩いたが、今度こそいらえはない。
毒種ヒョウモンダコの人魚と言うだけでも微妙に恐れられ、避けられることが多い上(人間でいうところ、体に始終武器が張り付いているようなものか)かてて加えてこの男は恐ろしく厄介な酒癖を持っている。
普段はそこまで喧嘩っ早いタイプではないが…というのか、酒さえ飲めれば大概のことは気にしない質というか…一度酔って剣を振るい始めると誰の手にも終えず、最近魚人街で勢力を増している現雇い主、ホーディ・ジョーンズ一味からさえも時々本気のドン引きをされる「人斬り上戸」の危険人物。
いつの間にかそんな男のお守りだなどという評判がついて回るようになったのは、もちろん本人の意思ではない。今は亡き父の飲み友達であったよしみと何度もその暴走を止めているうちに、気付けばそうなっていた。
極めて心外だったが、それが却って、に魚人街の荒くれ男達にも一目置かれる実力をつける結果となったのも厳然たる事実ではあろう。
「た、助かった…すまねェ。ヒョウゾウが絡まれた辺りで止めたは止めたんだがよ…」
「ああ…うん、手遅れだったか」
聞いてみれば肩がぶつかったのそうでないのとそんな程度のいさかいだったらしいが、あまりにも相手が悪すぎた。
おそらく本島あたりからの新参者なのだろう。哀れにも全身をなます切りにされた死骸を見下ろすと、恐る恐る戻って来たらしい他の客も数人戸口から覗き込んでいた。
「まあ気の毒っちゃあそうなんだが、この有名な人斬りの情報も聞かなかったってんなら、どのみちそんなバカ長生きできやしねェな」
「…なあ」
と店主の溜息が重なった。
* * *
立たないものは仕方がなく、やむなくは気持ちよくうたた寝をしているヒョウゾウを肩に担ぎ上げた。魚人からはパワー不足と揶揄されることも多い人魚族だが、サメ種であればそれなりに力も強い。
「あ、おい」
切って落とされた照明器具を片付けていた店主の方へ、巾着状の財布を投げ渡す。
「店の修理費用そっから引いとけ。遠慮はしねえで迷惑料も取れよ、どうせアホの金だ」
「足りなかったら?」
「大丈夫だと思うけどな。このアル中オヤジ、酒がなくなったらいつでも補充できるように結構な額持ち歩いてんだ。狙ってくる強盗なんかいるわけもねェし。
…まあもし足りねェようならおれにつけといてくれ、あとで代わりに払っとくよ」
「お、おう」
「しかし…れかうらったな。むかひはこんなちっこかったのいよォ」
「稚魚の時の話じゃねえかよ。何年経ったと思ってんだ、でかくもならァ」
そんな会話を聞くともなしに聞きながら、ギャラリーは示し合わせたように全員が同じことを思った。
(ああ、こりゃ間違いなくお守り以外のなんでもねェわ)
―――
一応注釈:夢主の種族は「カグラザメ」の人魚です