招松軒の暖簾を潜ると、腐れ縁の男三人が揃いも揃ったニヤケ面とサムアップを三つ重ねてきた。
狭間綺羅々は無言で戸を閉めた。
「おい!」
「なんで閉めんだよ!」
「俺ら中にいんのに閉め出された気分じゃねーか!」
 
「…なんなのよさっきのバカ面は」
「そりゃお前」
彼氏できたんだろ? と寺坂がさらににやけた。
自クラスの担任教師でもあるまいに、他人事で何をそこまで盛り上がることがあるのかと狭間は思う。
彼等が話題にするような人間関係と言えば一人しかいない。夏休み前に図書館で声をかけてきて、何が良かったのかそれから時々本の話をするようになった他校の高校生である。先日村松の買い出しに付き合った時に遭遇し、吉田と二人でなにやら話していた。
話が広がったのはそこからだろう。
大袈裟に否定するほどでもないが、肯定するのも違う。
「彼氏じゃないわよ「まだ」
「勝手に付け足さないでくれる」
カウンター横、隅のテーブル席に付きながら、自分でもなんとも投げやりな口調になった。
「いやいや、あれ絶対お前のこと好きだって」
「そうでしょうね」
知っている。
自分で言うのも多少はばかられるが、人の感情には敏いほうだと自覚があった。
ペットの線で交流のできた倉橋が面白いと評判の少女漫画を貸してきたことがあったが、紙面に描かれた恋愛模様のヒロインのように、誰でも分かるアプローチをかけられてなお気付かぬほど馬鹿でもない。…なんならお前が神崎の方を向く度猫撫で声になることも知っている、とぶち込みかけて、面倒になってやめた。
「例えそうでも、私は向こうのことほとんど知らないんだからまだ好きも嫌いもないでしょ」
「冷めてんなホント」
「そうかしら」
と名乗った男子の印象を思い出す。
長身だが横幅は狭く、いかにも文系といった風情の…確か向こうが語ったところではバスケ部への執拗な勧誘を断りきれず入ってしまい、趣味に割く時間が取れず早くも後悔しているとかいう…実に普通の男子だ。
あの分では自分に好意があるとしても、告白してくるかどうかすら怪しいではないか。
 
「狭間よォ」
「?」
「そりゃ俺らはお前がそれでいいならいいけどよ、本当にそんなんでいいのかよ」
「…言わんとすることはぼんやりわかったけど、その貧相な語彙なんとかなんないの」
「あぁ!?」
村松の出した、最早ラーメン屋と何の関係があるのかもわからぬサイドメニューのカレースープを一口飲む。
一応美味いことは美味いが、招松軒はどこに行こうとしているのか。
「今年で全部終わるかもしれねーんだぞ」
「……。」
「誰もあのタコ殺せなかったら、俺らもお前も、そのって彼氏も、みんな死ぬじゃねーか」
これだからバカの一言は困るのだ。
竹林辺りが好むライトノベルでもあるまいに、地球の滅亡などというとてつもなく大きな話、あのクラスでもリアルに考えているほうが珍しい。
「お前床に耳クソ落とすなって何回言ったらわかんだよ!」
「どうせ後で掃除すんならいいだろこのぐれえ」
「よくねーよ、食い物屋での清潔感の重要性なめんな!」
それでも。
連れの男共はなんともいえぬバカ揃いだが、思考に特化したタイプの見逃しがちなものを時折ぽんと投げ渡してくる。
話すに足るバカだ。
「俺らは彼女とか無縁だけどよ、こんな瀬戸際でダチが幸せになるかもしれねーんだ。応援ぐれえさせろよ」
「そりゃあんたは無縁でしょ」
「なんで」
「バカだし」
「だよな」
「確かに」
「うるせー!」
 
狭間綺羅々はいつものように喉で笑う。
リゾート地での大がかりな暗殺計画と失敗、そこを狙って仕掛けられたウイルス騒動。肝試しに(自分は行かなかったが)夏祭り。そのすべてが、誰も想像すらし得なかった混沌の祭りのようだ。
(幸せに、ねえ…)
恋人が出来ることがイコール幸せと捉えられるほど恋愛脳ではないつもりだが、それはそれとして、こんな不思議なことばかり起きる年は変わったこともしたくなる。
三年E組の濃い夏休みももう終わろうとしていた。
 
 
 
 
 
Septembre(セプタンブル:九月)