「あっ」 「あら」 出かけた業務スーパーの近くでかなり嬉しい誤算があった。 「久し振り、あー…狭間も買い物?」 「ええ」 家でごろごろしてるんなら買い物行ってきてと頼まれた時は、俺だって言われるほどはヒマじゃないんだよと思ったが、結果として親の言うことは聞くものだ。ありがとうお母様。おかげで好きな子と会えました。頼まれた卵は自費でちょっといいやつ買って帰ります。 「私のじゃないけどね。連れが食材買わないとって言うから」 「へえ。クラスの子とか」 「ま、そうね」 そう言うからには女の子だろう。 ……だといいなあ。 これで彼氏とお家デートだったりしたら俺は引きこもる。まああのよくわからん担任の先生は彼氏の有無とか言ってなかったし、そんなのいたら俺を推すこともないと思うけど。 「あ、そういえばさ、こないだ知らない人に声かけられて」 ついでだ、カラスマ先生とやらをだしに使わせてもらおう。 「なんだろうと思ったら、狭間さんのクラス担任のカラスマですって言われてさ。ちょっと変わった感じの人だな」 自分で言っておいてなんだけど、あれ変わってるの一言で片付けてよかったのか。そもそもヒトっぽくないし。 しかし、聞いた狭間は一瞬とんでもなく嫌な顔をした。 (えっ何…今気に障ること言った? それともあの先生嫌いだった? いや、ひょっとして俺の方からわざわざ接触して何か聞き出そうとしたとか思ってないこれ?) 「え、ど、どうかした?」 「別に…いいえ、変わった人って言ったけど」 「うん?」 「それタコっぽくなかった?」 「アッハイ」 人類ってより黄色いタコって言った方がしっくりくるタイプでした。 「やっぱり」 いや本当になんなんだ、本当はあの担任火星人かなんかだったの? 「ああ、なんでもないわ。向こうから声掛けてきたの?」 「え、うん、話してるとこ見たって言ってた」 しかしあの出歯亀根性の塊のゲスい話をどこまで言っていいもんか。あの先生の評判が落ちる分には構わないけど、いらない巻き添えで俺のイメージまで悪くなったら困る。 「夏休み前に他校の男子生徒と話してたから心配になったんだってさ。面倒見のいい先生だよな」 結局話したことは大幅カットして適当に褒めた。 「まあ面倒見っていうかあれは…「狭間」 「えっ」 (たぶん)顔に出なかったのは奇跡と言ってもいいだろう。背が高く体格のいい、黒ドレッドの…全く思いもしなかった方面の男子が声をかけてきた。意外なタイプ過ぎて、こっちに近寄ってくるのだってまさか知り合いとは思わず、普通に横通るのかと思った。 え、なに、これまさかさっきの“クラスの子”? 女子じゃなくて? 「何だそいつ、ナンパか?」 「違うわよ。図書館で会う知り合い」 「へー…」 知り合いレベルにはしてくれたらしい。っていうかそもそも俺は最初の時全力でナンパしてたんですけど…いや、あれのことは言うまい。このまま忘れててください。 とりあえず適当に挨拶はしたがまったく心中穏やかじゃない。 「それよりメインの村松どうしたのよ、あんた荷物持ち要員でしょ」 「あいつ今小麦粉の生産地と消費期限ガン見してる」 「ああなると長いのよねえ」 村松さんとやらは今度こそ女子ですよね、それでできれば目の前の吉田君の彼女なんですよね!? ものすごく聞きたいけどこの流れで俺が聞くのはあきらかに妙だ。第一友達が来たならあんまり食い気味になったらウザいだろうしどうしよう。日を改めてまた今度話した方が、いやでも。 どう話を繋げればいいんだこれ。俺が知らなかっただけで、そのへんでナンパしてる奴ってみんなこんな思いしてるのか。リア充ってすげえ。 「ところでよ」 「俺?」 「おう、ちょっとこっち」 黒ドレッド改め吉田はニヤニヤしながら俺の腕をつかんで、狭間に声が届かない程度の距離まで引っ張ってきた。 …カツアゲされないよな。こないだ我慢できずに贔屓の作家の新刊ハードカバーで上下買っちゃって、財布の残金もう五千円もないぞ。 「アンタさあ」 「なんだよ」 「狭間好きなの?」 「……。」 ニヤニヤすんなよおい。 「逆に聞くけどさ」 「おう?」 「好きでもなかったら、他校の生徒でしかも二つも年下の女子と、誰がわざわざ話をしに行くんですかと」 「そりゃそうだわなァ」 お見通しみたいだ。そりゃそうだろうとも。面と向かって告白してないだけで別に隠す気はない。 「大丈夫だって、俺彼氏じゃねえし」 「マジで!」 「マジマジ、あいつそういうのいねえ」 ありがとう吉田君! さっきDQNかとひっそり疑って申し訳なかった、いい奴だった! 今日は心配事なく眠れそうだ。 * * * 吉田大成はその日珍しいものを見た。 狭間綺羅々は寺坂グループの連れではあるが、クラスでもあまり主張する方でなく、誰かに深く関わるよりは他者の人間関係を観察に回るタイプだ。それは自分に対しても同様で、席の左側の神崎の方を向く際に…多少、あくまで多少…声を潜めてやっているのを、いつも後ろでニヤニヤと見ている気配がする。 (別に他意があるわけではないのだ。男が大人しい女子を怖がらせるようなダサい真似をしたところで仕方がないだろう) それが男と話していた。 自分達の学校内では見ない顔だ。他校の生徒…それもおそらく少し年上だろう。背は高いが細身で、顔立ちも全体の雰囲気も落ち着いた印象。友人の目から見てもアクの強い狭間と並ぶと(さすがにこれは口に出せないが)魔女と従者のようですらある。 (へー…) 無駄に多い招松軒のサイドメニューをさらに増やすと言い出した村松に、あれこれ文句を垂れながら付いて来た甲斐はあったというものだ。 次いで彼氏はいないと教えてやると、彼はこちらが驚くほど喜んだ。 (ん? ひょっとしてコイツか、タコが狭間の周りに注意してろって言ったの) 様々な思惑の錯綜した沖縄での夏期講習も終わりかけた頃、担任がにゅるりと自分達のグループを捕まえて囁いた。 “ちょっと待ってください” “あ? 何だよさっきよりゲスい笑い方して” “いえね、ちょっと頼みたいことが…さっきの肝試し、なんで君達のグループに集団行動を許可したと思います?” “なんでって?” “実はこれ、これ見てくださいよ。ペア作るまでもなくいるみたいなんです、狭間さんに。仲のいい男子!” 差し出された写真は(恐らく隠し撮りだろう)肝心の人物こそ後ろ姿で顔までは見えなかったが、図書館と思わしき場所で狭間と見知らぬ男子が話すツーショットが映し出されていた。 少し長めの黒髪、長身以外確たる特徴のない立ち姿は、思い出してみれば眼前の男子高生と同一人物のようだった。 “え、何だこれ。勝手に撮ったの?” “こんなもんバレたら呪われるぞ” “先生このためにカメラのシャッターを改造して、全力でこっそり撮りました” “何ドヤ顔してんだよ、盗撮じゃねーか!” 続けて担任は身辺調査も済ませたと豪語しつつ、自分達にまで彼の細かい情報をつらつらと流してきた。地球ごと爆殺すると豪語してやまないモンスターを相手にこのようなことを言うのもなんだが、自分達の担任は一度警察に突き出した方が世の中のためであろう。 目的はどうあれ、中学校の教師が担任クラス内の女生徒を盗撮。変態教師としてネットニュースになってもおかしくないレベルだった。 “でも意外でしょ? しかも相手の子、少なからず狭間さんに気があるっぽいんですよ” “おー” “いや、そりゃ気にはなるけどよ” “先生はこのネタに全力で首を突っ込んで冷やかしたいんです!” “うっわ…” それほど長くもない十五年の人生の中で、これほどあきらかな余計なお世話は初めて見た。 自分達の友人の恋愛模様であるからそれなりに気にもなるが、このゲスい大人に乗せられるのもいかがなものか。男達は好奇心とごく一般的な良識の合間でしばし揺らいだ。 それから多少時間が経過して夏休みも残り数日、まさか鉢合わせをするとも思わずに忘れていたが、なるほど。これが件の男子か。 (タコに言う気はしねーが、こりゃ面白ぇわ) あとで狭間の目を盗んで、寺坂と村松に教えておこうと彼はひっそり笑った。 「何ならこの先に「招松軒」ってボロいラーメン屋あるから来てみろよ、サン。俺らわりとそこで溜まってんだ」 この方法ならば招松軒の古臭い味のラーメンも少しは売り上げが上がるだろう。実にいいことをした。 「あれ、そういや俺名前言ったっけ」 「……。 いや、さっき狭間が呼んでたし?」 危ないところだった。 Prevision(プレヴィジオン:予測、予想、見通し) |