「見つけた」
「何を」
「永遠を」
さすがに自分でもこのナンパはくそ寒いと思った。
「バカなの?」
「ですよね」
すみませんでした。
でも違うんだ、言い訳させてくれ。前からよく見る女の子に話しかける口実が欲しかっただけなんです。
その結果が二十年後にのたうち回りそうなこの切り出しだ。
って言うか俺の好きな詩のこの言い回し、そもそも伝わっているんだろうか。大丈夫かな。フランス文学が好きそうだと傾向は大まかに分かってるんだけど。
「それで?」
「ええと、あー、いきなりごめん」
名前を知らない女子は実に冷たい横目でこっちを見たが、とりあえず落ち着いているし、話は聞いてくれるようだ。助かった。根性を振り絞った結果変質者扱いでもされていたら、やるせなさ過ぎて俺は泣くにも泣けない。
「いや、俺はバカだけど怪しい者じゃなくて、下心とかでもなくて」
「好きなんでしょ」
「ファッ?」
「ランボー」
「……アッハイ」
心臓つぶれるかと思った。そうですそうです。はい…俺はそれが言いたかったんです…。
「海と溶け合う太陽を…。私はボードレールの方が好きだけど、まあ普通に読むわ。地獄の季節よね」
「そ、そう。よかった」
彼女は横目でにやりと笑った。
…やっぱいいなあ。
強くウェーブのかかった黒髪と険のある目つき、ちょっと握ったら折れそうな細身の体格。ぱっと見は割と無愛想な感じで、およそ男受けの良さそうなタイプには見えないが、(高二の俺と大体同じぐらいだろう)年頃に似合わない落ち着きと…誤解を恐れずに例えるが、蛇のように物憂げで悪魔的な魅力がある。
小悪魔とかくそなめたことを抜かしたら返って失礼になりそうな、いっそ悪魔と呼んでしまいたいイメージ。ボードレールが好きだという仄暗さ。機嫌が良さそうな時でもどこか影のあるミステリアスな空気。
要するに超好みです。話したかったんです。言えないけど。
「その、よくこの図書館来るだろ、見かける度に本の趣味同じだなって思ってて」
一番最初に目に付いたのは“モンテ・クリスト伯”を全巻ごそっと借りていった時だ。何この女子すげえと思った。さすがに周囲の利用客も驚いていた。
だけど一番インパクトがあったのは、その時横目に見た笑顔。
毒を塗った刃物ってこんな感じなんだろうかと思う、なんとも言えない凄みのある笑顔。
我ながらキモいと思う感想を述べるが、頼むから引かないでほしい。こんなこと考えながら自分が一番キモいと思ってるのだ。
 
この視線がもしも毒のナイフなら、殺されたいと思った。
 
…口が裂けても言えない。
大事なことなので三回言う。我ながら、真面目に、キモい。
「フランス文学が好きならランボーも読んでるかなって思って、さっき、つい」
でも他にどう言ったらいいんだろう。
俺はこの年まで本ばっかり読んでたもんだから、語彙はそこそこあると思うけど、女子をナンパしたことなんかない。誉めようにも誉め言葉になってないような言い方しか出てこない。それでさっきから、こんな何が言いたいのかわからないようなことばっかり話しているわけだ。
初めて話す女子に暗めの雰囲気が色っぽいよねなんて言ったらただのセクハラだからな!
お互い社会人同士とか、それも酒でも入ってるならそんな言い方ができるのかもしれない。だがあいにく俺も向こうも学生だ。
「でもボードレールか、いいよな。俺は悪の華くらいしか読んだことないけど」
でもだからって何言ってんだろう。
だいたい学生らしい話題ってなんだよ。勉強の話じゃ仲良くなりたいですアピールにならない、っていうか知らない奴からいきなり成績の話ってお前に何の関係があるんだよって話で。でも最初から学校や住んでるとこはどこだと聞くのもなんか気持ち悪いだろうし、ドラマや漫画の話もないだろう。全然ドラマ見ないし話分からないし。
なんてことだ。そう考えていくと知ったかぶらずに話せるポイントは本しかない。
「収録されてる詩は、踊る蛇とか、午後の唄とかが好きだな」
さりげなく恋愛詩を出すとか俺はなんなの? バカなの?
「それはいいけど」
「うん」
キモいですか。すみません。
「どっち向いて喋ってんの?」
「えっ」
そういえば相手の顔も見ずに延々本の背表紙を見ながら話してました。
失礼すぎる。
「別にとって喰いやしないわよ」
「あ、うん…いや怖いとかじゃないんだ、ごめん。こんな急に女子に話しかけるの初めてで、ちょっと緊張してて」
正直に話してみる。イヤな感じの奴だと思われて気分を悪くさせてしまうくらいなら、まだヘタレのレッテルの方がましだ。
彼女はユイスマンスの“黒ミサ異聞”を閉じて、くっくっと喉で笑った。
「そう」
「…うん」
前から格好いいと思ってたけど、なんだこの凄み。ハードボイルド感すらある。
本当に、名前はなんて言うんだろう。
昔のアニメ映画では、図書館の蔵書カードに利用者の名前が記載されているシーンがあった。…今はそんなもんはない。なにが個人情報だちくしょう。
「あの、ここ、また来る?」
「まあね、普通に今までと同じぐらいの頻度で来るわ」
そしたら今度はなんか食べに行かない、とか。何なら今からでもちょっとどこか行かない、とか。
言いたいけどどの面下げて誘えばいいんだ。
「じゃあ」
「アッハイ」
まあ、少し話しただけでも進歩ではあるし。次からもうちょっと本気出すし。次回にはちゃんと話すことをまとめてから声を掛けるし…。
そんなことをぐずぐずと考えていると、数冊を抱えて貸し出しカウンターに向かった彼女は、ふっとこちらを振り返った。
「ああ、私なんだけど」
「え」
「狭間」
「……えっ」
「覚えといて」
 
そのまま彼女は、いや狭間さんは、今度こそ振り返らず一直線にカウンターまで向かっていった。
どうしよう。俺の顔は今最大級にキモい自覚がある。絶対耳まで赤い。たかが名字を聞いただけでこれじゃ、もしこの先もっと詳しく個人情報を聞けたらどうなってしまうのか。
「……。」
想像するとその辺の書架に頭突きでもくれたくなるのでやめた。
 
 
 
 
 
Fascination(ファシナシオン:魅惑、魅了)