大の男が蹴りでも入れれば板塀が破れそうな貧乏長屋、強度が最低限であろうことはもう想像に難くない。
そもそも諸外国が「木と紙の家」などと笑う日本の家屋は、潰れてもすぐさま建て直せる造りの簡単さが最大のウリ。地震大国で長く生きてきた民の逞しさの賜物だ。
だが、だからといって長屋全体を半壊させるような規模の(しかも警察の管理下にある密偵が仕手かした)騒動を、こちらで弁償しますからなどと一言でもみ消すことはできなかった。
「なんでこういうことになったの」
周囲は大破した長屋の残骸と、さきほど頭から投げ飛ばされてようやく血の下がった無頼漢がふたり。それに加えて、最近は物騒な事件の頻発するこの町で、なおもなんだどうしたと集まってきた…命知らずの野次馬たちがこちらをのぞき込んでいる。
「そりゃホウキの野郎が」「このトリ頭が」
「二人には聞いてない」
は気まずげな男二人の言葉を途中でぶった切り、据わりきった目を改めて住民のほうへ向けた。
抜けるような紺碧の空と気持ちのいい秋風が逆にむなしい。
せっかくの非番に自分は何をしているのだ。
「そ、その…最初はこっちの傾いた兄さんが、捕り物やーって言って賭場に殴り込んできて」
「ああ…そうね、詳細は伏せるけどこの辺に潜伏してる指名手配犯を捕縛しておくようにって命令されてたはずだから…そこまではいいの」
「せやで、ワイはお仕事しとっただけや」
「え…でもあの鞭みてえなやつで壁から屋根から派手にぶち抜いちまって、しかも建物が壊れちまうって止めに入った賭場の主人を邪魔だって斬ろうと…」
「へえ」
横目でじっとりと睨むと、沢下条張は何事もなかったように目を逸らし、口笛を吹いて誤魔化そうと試みた。
「そしたら騒ぎを聞いて、左之さんがおいやめろって入ってくれたんですけど」
「おう、そりゃそうだろ。アンタもこのホウキひとりに任せて何が捕り物でえ、余計人死にが多くなるじゃねえかよ」
「で、君が入った結果が、本来の手配犯をそっちのけで長屋を半壊させての大喧嘩! 犯人は割を食ってしこたま殴られて、今さっき警邏中の新米巡査に引きずられていったんでしょうが!」
たかだか一人にこれほど甚大な被害を出し、しかも本来ならば秘されるべき警察の職務が市民に筒抜けとあって、今度こその声がはっきりと怒りに跳ね上がる。
それぞれ地元では名の通った無法者、藤田五郎いわくトリとホウキの二人がさすがに気圧され、揃ってさっと視線を逸らした。
「ああー…絶対今日一日つぶれるし私まで始末書だコレ…」
「そ、そう言うたら今日はえらい洒落とんな、似合うとるやんか」
「うん、非番だからね…」
「おっ、どこぞで“でぇと”でも予定あったんか?」
「なくて悪かったね! やっと取れたお休みだし、今日はちょっと遠出しておいしいもの食べて、ついでに錦絵でも眺めて帰ろうかなって思ってたのに朝っぱらからこんなんなって納得いくかボケェ!」
「お、おう…」
普段は邪魔にならぬように結った髪を下ろしてリボンで飾り、葡萄茶の袴に矢羽根模様の着物。加えて流行りの編み上げのブーツで洒落めかした装いは休暇用の取って置きだった。
できることなら女らしい格好の時くらいは大人しくしておきたかったが、折悪しく現場に行き合ったあげく、顔馴染みの巡査から助けてくださいと要請されては、白身魚より淡泊だと自他ともに認めるでも見なかったことにはできぬ。
「次なんか余計なこと言ったらこのブーツの踵で蹴っ飛ばすよ!」
* * *
「おい、ホウキよォ…なんでえあのそこそこ別嬪だけど怖ェ姉ちゃん」
「斎藤のオッサンが置いてったワイのお目付役や。普段はああやないねんけどな」
「あァ? 女でサツかよ?」
「さあ、内向きのモン言うてたし正式な警官ちゃうやろ。ずっとオッサンの下におったっちゅう辺りしかワイも知らんねや。ただあないな若作りのナリして、ひょっとしたら志々雄様ぐらいのトシはいっとるかもしれん「なんか言った?」
「……なんでもあらへん」
長屋の復旧作業は下手人二人を(無理矢理)働かせて、実に粛々と行われた。
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